0-21端午の節句といったら、兜や鎧を連想するのではないでしょうか?

子供の時は気にもしなかったですが、端午の節句を飾る意味を調べてみましたのでお伝えしたいと思います。

鯉のぼり!っていう人もいると思いますが、最近では鯉のぼりを飾っている家をあまり見なくなっている気がします。

日本の住宅事情かも知れませんが、マンションなどでしたら小さい鯉のぼりしか飾れないので外から見えませんしね^^;

しかし、兜や鎧なら家の中に飾れるますしね。

でも、鎧も大きいから兜だけの家庭もあるのではないでしょうか?

ちなみに、私の家は兜だけ飾ってました^^

何となく兜や鎧は強いイメージがありますよね?

由来もイメージ通りですよ♪

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端午の節句に兜を飾るようになった3つの由来とは?

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何となく想像できると思いますがが、端午の節句に兜や鎧を飾るようになったのは、武家社会の風習が由来となっております。

これは、鎌倉時代や室町時代にはすでに行われていたのですが、3つの意味を持つものでした。

  • 1つ目
    この時期に兜や鎧を梅雨に入る前の手入れをする為に、兜や鎧を飾った
  • 2つ目
    災いの進入を防ぐ為に、この時期に鎧や兜を飾って守ろうとした
  • 3つ目
    身の安全を願って、鎧や兜を奉納する風習の名残

このように3つの説がありますが、この風習が庶民にまで定着したのは江戸時代といわれております。

どれも、兜や鎧からイメージできるような「守る」を意味しているといってもよいのではないでしょうか?

何から守るのかがそれぞれ違っているとは思いますが^^;

男の子を守る意味を込めて飾っていたが実際は?

兜や鎧に男の子を守る意味を込めて飾っていたのはわかったと思いますが、ここで一つ疑問が浮かびませんか?

当時の庶民がはたして兜や鎧なんて持っていたのでしょうか?

だって、江戸時代といえばまだ武士や平民・農民なんかの階級社会が根付いて時代です。

だから、もって無いだろうと調べてみたら意外なことに繋がってました。

それは、「五月人形」です。
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そうです、金太郎や弁慶や牛若丸がぱっと浮かびますね。

調べてみると、やはり庶民は兜や鎧を持っていなかったんです。

庶民は竹や木を組んで形を作り、紙を貼り合わせた張子(はりこ)という物で代用していたんです。

また、兜には神様が降りてくるようにと目印になるように人形細工がしてあったんです。

その人形部分が独立して「五月人形」が生まれました。

ちなみに、五月人形には「勇敢な男の子」に育って欲しいという願いが込められておりますので、見るからに強そうな人達が人形のモデルとなっているのです。

金太郎も弁慶も牛若丸も強そうですしねっ!

桃太郎とか浦島太郎は見たことありませんが・・・

私は某携帯電話会社のCMが大好きですっ(>_<)

因みに金太郎って実在した坂田金時(さかたきんとき)という人の幼少の頃の名前なんですよ。

けっして銀時ではありません。

牛若丸は源義経(みなもとのよしつね)の幼少の名前でこちらも実在しております。

まあ、熊と相撲して勝ったとか、橋の手すりの上で笛を吹くなどはさすがに物語だと思いますけど・・・( ̄ー ̄)

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編集後記

039ちょっと最後の方は話しがそれてしまいましたが、これが、端午の節句を飾る意味です。

男の子には勇敢に健康に育って欲しいという想いが込められていたんですね^^

まあ、親心としては勇敢とかでなくとも、健康に育ってくれれば問題は無いと思います。

武家の行いを庶民が真似をすることが無かったから、兜や鎧を飾る風習は無かったかも知れませんね。

今の時代も、TVやアイドルから影響を受けて真似をしている人もいると思いますが、長い目でみると何かの由来になる日が来るかも知れませんね。

庶民が真似してくれるほどに、武家の人は庶民に人気があったんだと思うとなんか嬉しいですね♪

昔の方が上げ足の取り合いみたいなことは無かったのかも知れませんね。

おっと、あまり言うと怒られるのでこのへんで。

端午の節句のまとめ記事を作成しましたのご参考にして下さい<(_ _)>

⇒端午の節句の意味や由来の総まとめ!

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