5c14926204f1f53a159fcfd3063ba075_s皆様、お花見といったら何を想像するでしょうか?

綺麗?カラオケ?宴会?お酒?無礼講?実は間違った認識です。

お花見を見るのは、こんな意味があったんです。

この記事を読んで頂くと、お花見に対する考え方が変わっちゃうかも知れませんので、今のお花見が好きな人は読まない方が良いかも知れません^^;

「知らぬが仏です!」

意味や由来を知らない方が幸せなこともあるのではないでしょうか?

スポンサードリンク

お花見でドンチャン騒ぎするのは神様への無礼な振舞い

57e15a5de3fadbc05ca9ce7322ec136b_s
さて、ここまで読んでいるということは、知る覚悟があると思いますのでご説明します。

なぜ、神様への無礼な振舞いとなるのかを順を沿ってご説明します。

お花見の由来

お花見とは、元々は宗教的な意味合いが強い「神事」だったのです。

これには、桜(さくら)という名前からも実は連想できることなのです。

「さくら」とは山や田んぼの神様のことを「さ」と呼び、神様が座り鎮まる場所のことを「くら」というのです。

「さくら」と名前は、山や田んぼの神様が座って鎮まる場所という意味をもった名前だったのです。

このことから、桜の木にお供え物をしたり、豊作を祈りながら宴を行うというのが、お花見の由来となります。

桜の花が咲く意味と散る意味

8ce0f6839f26ade1f27d736630f9839e_s桜の花が咲くことが、「神様が降りて来て下さった証」と意味されました。
その逆で散ることが「神様が帰っていった証」と意味されていたのです。

よって、しっかりとした期日を桜が咲いていてくれれば今年の豊作を期待できたのですが、不運なことに、すぐに散ってしまったら。

それは、「凶」とされ豊作が期待できない!

とされたのです。

ドンチャン騒ぎになったのは、江戸時代が起源

今のようなドンチャン騒ぎとなったのは、江戸時代にお花見が庶民の娯楽として定着してしまったのが起源だといわれております。

桜の花をみると、綺麗で心が弾んでしまったんでしょうね^^

しかも年一回ということもあり、毎年の桜の開花が宴の合図となり、「待ってました~っ!!」と溜ったウップンを晴らす場として定着していってしまったのです。

この頃には、桜とは、神様の依代で座って鎮まっている場所である、即ち神様の御前であるということは忘れられてしまっていたのかもしれません。

スポンサードリンク

現代人が神様への無礼な振舞いをしている現実

18c6aa5a24cb0e6f9126f07c8d60900d_sここまで読んで頂くと想像がつくのではないでしょうか?

お花見で用意される食事やお酒は神様へのお供え物なんですよ。

人間は、神様からの御下がりを感謝して頂かなければならないのです。

ここで、想像してみて下さいっ!

「偉い人の前で、偉い人を無視して無礼講だぁ~って騒いでいる部下達を」

「仏の顔も三度まで」とはありますが、偉い人を敬う心が、この部下達には無いですよね^^;

非常に無礼な集団です(>_<)

世に言う「先生」と呼ばれる人を招待しても、無視してドンチャン騒ぎする輩です。

成人式は荒れる・・・

神聖な式で「昔はあんなことは無かった」と嘆いている人も多いのではないでしょうか?

「成人になってあんな行動は恥ずかしい」

「成人になってあんな姿は恥ずかしい」

こう言っている人は、お花見で神様を無視してドンチャン騒ぎをするような恥ずかしく無礼な行動をしていないと思いたいものですね。

編集後記

039
如何だったでしょうか?

お花見を見る意味が分かってもらえたと思います。

同時に無礼講のドンチャン騒ぎがいかに恥ずかしい行為なのかも・・・

私は、この言葉が常に頭に引っかかります「人の振り見て我が振り直せ」

自分の振舞いを棚に乗っけて、「自分に優しく、他人に厳しい」人が増えてきているのではないでしょうか?

完璧な人間なんて存在しません、しかし、意識しているのとしていないのとでは、圧倒的に差があります。

意識していない「0(ゼロ)」の状態では、何万倍にしようとも「0(ゼロ)」なんですよね(>_<)

もちろん、わたしもきっと無礼なことを知らずにやっていることでしょう!

でも、今日の自分より明日の自分は、微かでも自分の理想に近づいていると信じたいです(´▽`*)

この記事を読んで、気分を害されてしまった人がいらっしゃいましたら、誠に申し訳御座いませんでした。

スポンサードリンク